一から学ぶブッダの教え-生きている人の苦を減らす-

全く何も知らないところからブッダの説いた苦を減らす教えを学んでいくブログです。

四つの聖向聖果(滅苦の様相)、特に最初の段階である預流者

 今回は苦が減った人とはどの様な人なのか、特に最初の解脱の段階である預流者について見ていきます。
大多数の人が属する、喜びに満足している人の世界である世間地(世俗の境地、ローギアブーミ)があります。そこから解脱の方向、つまり出世間地(世俗を超えた境地、ローグッタラブーミ)に向かう人は四つの種類に分類されます。

 つまり、預流者、一来者、不還者、阿羅漢です。預流者になろうとしている状態を預流向と言い、それを達成した聖果を預流果と言います。預流果に到った人が預流者です。

 一来向と一来果、不還向と不還果、阿羅漢向と阿羅漢果も同様です。解脱を目指す場合まずは預流果を達成することを目指します。

 預流果の達成、つまり預流者になる条件は三つの煩悩を捨てる事です。三つの煩悩とはすなわち有身見(この心身は自分であるとか、自分自身があると思い込む見方)、疑(滅苦の実現を疑うこと)、戒禁取(滅苦に繋がらない修行を正しい方法と思い込むこと)の三種です。
 
 この中で最初の有身見は、自分の容姿や運動能力、知能等に自信のある人は捨てるのが特に困難な煩悩です。大好きな「自分の身体、頭脳」が無常であり自分自身ではないと真実ありのままに見て納得する必要があります。例えば、有身見がない人は身体の一部を欠損しても特に嘆き続けるべきでない事を知っています。この煩悩を捨てることが容易くないことはお分かりになるかと思います。

 二番目の疑は滅苦の実践をしていて捨てるのが難しい怒りや性欲を中々捨てられず、「本当に滅苦なんて出来るのかな?」と疑うことで、滅苦の実践の間には良く生じ得る煩悩です。良く学んでいなければ「身体の感覚は無くならないのなら苦は減らないでしょう?」などと考えます。ブッダの教えは身体の感覚を消すのではなく、心で掴む苦を減らす教えです。この辺りの重要ポイントを良く押さえて学ぶ事も「疑」の煩悩を捨てるのに大切な点です。

 意外と難しいのは三番目の戒禁取かもしれません。仏像を拝んだり、お経を歌ったり、お線香を上げたり、あらゆる種類のお祈り、儀礼儀式などの効果の無い迷信、無意味なものを正しいと信じ込まないと言うのは、無明が強い間は結構困難な事なのです。

 つまり預流果と言うのは実践はまだ出来ない段階だとしても、知識の上だけでもブッダの教えが正しいと考えられるだけの智慧が生じた人と言う事も出来ます。ダンマ、勝義諦が見えるので「六根の喜びは苦である」とか「八正道は滅苦の方法である」と言った事が理解出来ています。完璧な実践はまだまだ出来ない段階ですが、見解だけは完璧に正しくなっているので、間違った方向、つまり世俗諦に傾いて行くことはもうありません。これは涅槃への流れに乗ったと言えるので、流れに傾いた人、涅槃の聖果に預かった人と言う意味で預流者と呼ばれます。

 では僧なら皆預流者なのでしょうか?私の知っているだけでも、僧侶(お坊さん)なのに平気でお経を歌う様にあげている人は少なくありません。これは日本だけに限った話ではありません。お経は歌って音楽にすると歌う本人、聞く人両方で耳の感覚に喜ぶ人が生じて苦になる事と、仏教が音楽を肯定することになる等の理由で、やってはいけないのです。歌う様に経をあげる事はブッダが存命の頃から五つの理由(歌っている本人が喜ぶ、聞いている人が喜ぶ、仏教が音楽を肯定すると誤解される、サマーディが崩れる、悪い前例が出来るの五つで、基本である六根の喜びは「苦」と言う教えに矛盾します。)を上げて禁止しています。正しい見解があるならこの様な事はしない筈です。

 他にも例えば仏像や線香などは典型的な戒禁取です。仏教なら仏像も線香も当たり前と思っている人も多いかと思いますが、これらはブッダの教えに沿うとは言えません。仏像や線香に明らかな滅苦の効果はないからです。悟りに繋がらない方法は戒禁取と呼ばれ、この例の様に戒禁取も今や仏教界で溢れかえっています。「効果がある」と信じきっているものが、実は効果がないのだと自分で知ることはとても難しいので、戒禁取も捨てるのがかなり困難な煩悩と言えます。

 これら三つの煩悩を捨てる事が出来ると自動的に破滅に繋がるレベルの貪欲、破滅に繋がるレベルの怒り、破滅に繋がるレベルの愚痴(無知)を捨てる事が出来ます。

 言い換えれば預流者は六つのものを捨てた人と言う事もできます。他にも預流者は「六根(五感と心)を知る人」、「触を知る人」、「八正道を知る人」などとも言われます。滅苦に関する見解が完璧になっているからです。預流者は涅槃へ到るのが確実になりますから、困難ではありますがブッダの教えを学ぶならまずは預流果を目指したいものです。