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一から学ぶブッダの教え-生きている人の苦を減らす-

全く何も知らないところからブッダの説いた苦を減らす教えを学んでいくブログです。

考え(理性と妄想)

 ブッダの教えには考えは苦*1、と言われることもありますし、熟慮して真実をありのままに見なさいと言われることもあります。一見、考えては駄目なのに熟慮するの?と矛盾している様に思えます。

 この「考え」と言う単語がくせものなので、言葉の定義をしっかりする必要があると思います。駄目だと言われるものは、身勝手から生じる「妄想」です。例えば「あ~宝くじが当たらないかな。」とか、「あの人好みだなお近づきになりたいな。」などと言うのが典型的な妄想です。こういう事は考えれば即苦になりますので「考えは苦」あるいは「行(サンカーラ)は苦」と言われます。

 しかし、身勝手のない思考、真実をありのままに見る思考は必要です。例えば前回述べたような「何故エレベーターで待たされて不快になるのか、腹が立つのか」とか「なぜ人は苦と感じるのか」などと言う事実を良く分析するような思考は理性であり必要です。これも日本語では「考え」に含まれますので混乱の元です。欲と正しい希望の話の様にしっかり区別する必要があります。

 つまり身勝手から生じるあらゆる考えは苦ですが、真実をありのままに見て苦を減らすために理性で行う考えは苦を減らすために必要なものです。後者は完全な客観なので、身勝手な「我」が介在する余地がないと見ることが出来ます。あるいは完全な客観視には主観から「生じる」勝手な理屈で何かを作り出しておらず、「見る」だけなので「行」(作り出す事、サンカーラ)ではないと見る事も出来ます。いずれにせよ矛盾はありません。

 以上の理由から、単に「考えるな」と言ってしまうのは若干誤解を招く表現だと思います。ブッダも熟慮して苦の原因を明らかに見て大悟したのであり、全く何も考えなければ四聖諦を悟ることはできませんでした。こういう真実を見るための思考は必要ですし、ブッダも真実をありのままに見る様に勧めています。つまり、ありのままに「見る」すなわち熟慮する事と、苦になる「考え」とをはっきり区別していないと、こう言う混乱が生じます。これは欲と正しい希望とを混同するのとほとんど同じ理屈で生じる間違いです。

 結論として欲が原因で「ああなって欲しい」とか「こうなったら良いな」と考えたり、楽しいことや夢中になることを妄想する様な「考え」は苦になりますから止めた方が良いでしょう。

*1:経典にはヴィタカ「尋」とヴィチャーラ「伺」として「考え」の話は非常に詳しく述べられていますが、これらの話は縁起なども含めてあまりに詳細になるのでここでは述べません。