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一から学ぶブッダの教え-生きている人の苦を減らす-

全く何も知らないところからブッダの説いた苦を減らす教えを学んでいくブログです。

身勝手を減らす実践方法

 ブッダの教えは聞いただけで効果を得ることは普通は中々難しいと思います。しかしブッダに直接教えを聞いた人はその場で悟りに到った人も結構居た様ですので、もしかしたら智慧の高い人だと前回までの話で何らかの悟りを得たかもしれません。しかしこのブログは一から学ぶのがテーマですから、じっくり進んで行きましょう。今回は早速誰でも普段から行える効果的な実践方法をご紹介します。今すぐ始められる方法です。でもその前にどういう理由でこの実践をするのかをしっかり知っておく必要があります。理屈に合わない方法を鵜呑みにして修行と思い込んで行う事は、ブッダが厳しく禁止しています。そう言う方法は時間の無駄になるだけでなく、却って苦の原因である執着を増やす可能性があるからです。
 さて、その様な訳で実践方法に入る前にまず背景を説明したいと思います。前回までに述べたことからも察せられる様に、普通の人はこれまでの人生で既にかなりの量の「自分」と言う間違った執着を持ってしまっています。自分と言う誤解から生じるわがまま、身勝手さがある限りこの「自分」と言う執着(我語取)は無くなりません。
 例えば自動車の運転に慣れていない人は上手く運転できませんが、慣れていない分色々な観察をし、労力を払って慎重に運転します。いくつか悪い癖などはあるでしょうが、無意識の操作はあまりありません。しかし、運転に慣れてくるとかなりの操作をあまり苦労することなくほとんど意識せず無意識に行えてしまいます。
 車の運転ならそれも良い面があるかもしれませんが、「自分」と言う執着の場合話は別です。皆「自分」にすっかり慣れてしまっているので、意識せずにわがままや身勝手さで行動しています。無意識で行う分、これを取り除くのは容易ではない事は想像出来るかと思います。なのでブッダの教えでは努力してこのわがままさ、身勝手さを見つけて減らしなさいとあります。どう減らすのでしょうか。
 例えば歯を磨くときに水道を出しっぱなしにしている人は少なくないでしょう。その方がいちいち蛇口をひねらなくて良いので楽だからです。しかし、これは明らかに水の無駄遣いです。客観的に見れば正しくありません。自分が楽だから間違ったことでもやって良い、と言う「自分の都合」で、水の無駄遣いをしている訳です。これを知ったので身勝手さを減らすために今から水を無駄遣いすることを止めます。
 他にも色々な例を出すことが出来ます。何せ日常生活の中にわがまま、身勝手はそれこそ掃いて捨てるほど転がっているからです。例えば交通信号で間に合いそうもないから走ることなどもわがまま、身勝手さです。信号を一回待つくらい数分しかかからないことです。しかしなぜたったその数分のために自分と周りの人を危険に及ぼすようなこと、つまり走ることをするのでしょうか。これも身勝手で正しい行動ではありません。次から止めます。
 自動改札で前の人がつかえてイライラします。これも良く考えれば前の人は困っている訳であって、わざわざあなたを邪魔しようなどと思っていません。悪気がない人を自分に不都合だからと言って怒るのも正しくありません。そもそも身勝手、わがままだから怒るのであって、次から怒るのを止めます。
 例えばお酒が大好きだとします。毎日お酒を飲みます。しかし、それは命を繋ぐのに必要な行為でしょうか。酒で酔って心が乱れる味に取りつかれてしまって、正誤、善悪が不明になるような状態を楽しんでいませんか。そもそも身体にも脳にも良くありませんし、何より欲と執着に溺れる行為です。これも正しい行動ではありません。次から止めます。
 同様にコーヒーが大好きだとします。一日で何杯もコーヒーを飲みます。しかし、それは必要な行為でしょうか。コーヒーの味に取りつかれてしまって、身体にとっては水で十分なのにわざわざコーヒーを飲んでいませんか。これもわがままから来る欲であり正しい行動ではありません。次から止めます(止められないかもしれませんが)。
 以上の方法はブッダが滅苦に必要だと説いている「八正道」あるいは「サマタとヴィパッサナー」という手法の具体例です。この調子で日常の行動を全て検証して訂正していくと、わがまま、身勝手さはどんどん減っていきます。しかし慣れていないと随分窮屈な感じがすると思います。生きていけないと思う人もいるかもしれません。それは煩悩という心の病気が餌をもらえないので苦しんでいるのを、間違って「自分」が苦しんでいると感じるからです。しかしそこを耐えてこれを続けて行くと、「自分」という執着はどんどん減って行き、いずれ完全に無くなります。これが苦の終わり、苦が消滅することです。途中の段階でもはっきり苦が減る事を実感できます。しかし、現実問題としていきなり完璧にこういう梵行(ぼんぎょう)は中々出来ないと思いますので、とりあえず出来る範囲から始めることになります。どんなことでも最初から完璧にうまくできる人はいません。出来る範囲、可能な事から始めます。これは実践する皆さん各自の裁量で行うことになるでしょう。目標にも関係します。完璧に苦を無くしたい、最終解脱したい人は完璧に行う必要がありますが、とりあえず今この苦しさが減れば良いやという人なら少しずつになるでしょう。それは各人の心がけ次第です。
 また、何が正しくて何が間違いなのかという疑問は当然あると思います。この答えは滅苦につながるダンマなら正しくて、そうでないなら間違いです。ダンマかどうかについては長くなるので後程改めて説明したいと思います。