一から学ぶブッダの教え-生きている人の苦を減らす-

全く何も知らないところからブッダの説いた苦を減らす教えを学んでいくブログです。

無我(その2)

 前回「自分」とは何なのかと言う問題を考えてみました。「自分」と思っているこの心と身体は、無常のものなので時々刻々変化しています。今心で何かしたいと思っていても、少ししたらすぐその気持ちは変わります。例えばすごく喉が渇いたと思って水を飲んで満たされたら、もうその時には水を飲みたいとは思っていません。むしろこれ以上飲んだら苦痛です。さっきあれほど喉が渇いていて「水!とにかく水を飲みたい!!」と強烈に思っていたのにも関わらず、です。
 身体も全く止まっていません。四肢は少しの時間は止めていられても、何時間も止めるのは難しいです。それに心臓は絶え間なく脈打っていますし、呼吸もとても長時間は止められません。全身の細胞は絶えず代謝活動を行っていて、表面的に止まって見えたとしても、身体の方も心と同様にどこを見ても無常でない所はありません。
 それでは一体、いつの時点の心と身体が「自分」なのでしょうか。そう言うちっとも止まらない心身を「自分」と言っても良いのでしょうか。
 そろそろ「自分」と言う概念が大分ぐらついてきたのではないでしょうか。それもその筈です。ブッダは皆が普通に「自分」と思い込んでいるこの心身は「自分」ではないと明らかに見えたのです。「自分」と言う概念はまやかしなのです。ここで「所有」と言う概念を考えて見ましょう。所有すると言うのは「自分のもの」にする、と言う事です。しかしそもそも無常で変化するものはどうやっても崩壊するので無くなります。筋やプラチナなどは錆びにくいですが、それでも傷はつきますし、溶かせばどこかに行ってしまうでしょう。大切なあらゆる物は、買った新品の状態で維持し続けることは不可能です。これでは返却しなければならないレンタル品と変わりません*1。当然ですがレンタル品は自分の所有ではありません。そんな人はあまりいないと思いますが、もしレンタカーを借りて乗っていて、その車に心底惚れ込んでしまったら、返す時大変つらい思いをする事になります。もしその車をそのまま借りっぱなしにして盗んでも、今度は罪の意識に苛まれ、元の貸主からは返してくれと迫られることになるのでどの道苦痛からは逃れられません。何より車も無常ですからいずれ崩壊します。
 そんな人はいないよと思うかもしれませんが、皆さんは普通に自分の心身でこのレンタカーの話と同じ過ちを犯しています。何故なら、必ず老いて死ぬ肉体、つまり返却しなければならないものを自分の所有の様に勘違いしているからです。発生したものは無常なので必ず消滅します。そういうものを所有する事は出来ません。何のことはない、今まで「自分」とか「自分自身」と思い込んできたこの心身は自分でも何でもなかったのです。「自分」という発想が自然の威力で生じる無明(真実をありのままに見られない無知)によって騙されて生じていただけなのです。これがこの世の中に「自分」とか「自分自身」と呼べるような実体はどこにもない、「自分はない」という「無我」の真理です。
 おそらく今回は非常に理解しにくかったのではないでしょうか。実際、この話が完全に心の底から納得できるなら、それは最終解脱であり阿羅漢(アラハン)と呼ばれる悟りの中の最高の境地です(ブッダと同じ境地)。いきなりこれは難しいと思います。しかし、智慧の高い人であればここまでの話で最終解脱出来てしまうこともあり得ますし、最初の解脱である預流果であれば、これは十分あり得る話です。見解、ものの見方が完璧になれば、それは預流果という最初の悟りです。実際にブッダの説法を聞いてその場で預流果に達した人は少なくないと伝わっています。
 既にブッダの教えはここまでで一応完全な形で説明されました。上で述べた様にブッダが生きていた時代はこれだけで悟った人も居た様ですが、通常はもう少し詳しい説明が必要でしょう。次からは他の形で示されるブッダの教えを見ていきたいと思います。もちろん、最終的な結論は同じ所に行きつきますが。
 また、ここまでの話でご質問などがありましたらコメントやメールを頂ければと存じます。一切の加害の心なくお答えさせていただきたいと思います。

*1:厳密には借り手たる主体もないのでレンタル品ですらありません